「人の振り見て我が振りなおせ」という言葉があるように、他国を見ると、いかに日本が恵まれているか、そして、その恵みゆえに、呆けているかがわかる。仕事で他国の財政や経済を調査すると、必然的に自分の国の状態も分かった。三菱商事の一員としてではなく、寺田学として出来ることはないか、そのような想いが募り、退社するにいたった。会社では色々な経験が待ち受けていただけに、未練は多少ある。しかし、自分らしく生きようと決断したことに後悔はない。
もともと、政治を目指すつもりはなかった。むしろ、父が政治の仕事をしていたことで政治の世界には絶対に入るまいと思っていた。
でも、きっかけがあった。
雪の降るある日、大学時代に所属していた自主ゼミの先輩がルームシェアしていた私の家を訪ねてくる。内容は「政治の世界に飛び込もうと思うのだが、寺田の意見を聞きたい」というもの。その先輩は元暴走族と経歴を紹介するだけでは物足りないほどの問題児だったけれど、ある恩人の「一度は陽の当たるところを歩いてみなさい」という言葉をきっかけに、九九から学び直し大検を受け、大学に入った人。その人生経験から多くの大手ゼネコンから引手数多で、入社した某大手ゼネコンでは当時の人気漫画「サラリーマン金太郎」の実写版のような会社員生活を送っていた。がむしゃらに働くさなか、ふと故郷を振り返ると、昔一緒に悪さしていた仲間が、いまだその世界から抜け出せていないことに気づき地元の教育を変えるべく、退職して政治家になりたい、と私に相談にきた。
私は、徹底的に反対した。政治に携わる父の姿から見える政治の理不尽さを先輩に説いた。何をしても叩くマスコミ、真意を理解してくれない苦悩、多額の資金がかかる選挙、おかしいことだらけの政治の世界を一晩かけて先輩に説いた。「やっても意味ないですよ」「いまの会社で出世した方が絶対良い」と。だいたい話し終わり、およそ説得できたと確信した明け方に先輩に言われる。「寺田は、それほど今の政治がおかしいと解っているのに、なぜ、自分で解決しようとしないのか」と。
合わせて「おかしいと思った人が解決しなければ、世の中何も変わらない」との言葉も。返す言葉がなく、沈黙した。
政治に飛び込もうとする先輩を止めるはずが、自分が飛び込むことになった。考えを180度転換して政治に飛び込むスイッチが押された時だった。
ちなみに、私のスイッチを押した先輩は、結局政治の世界には飛び込まず、地元で小さな学習塾を開いた。少年院から出てきたばかりの少年少女や、大人になって学び直したい人に、イロハから手取り足取り勉強を教える塾だ。先輩自身の人生を変えた恩人の「一度は陽の当たるところを歩きなさい」との言葉を、他の子供たちにもと始めた。「人の選挙を多数手伝ったが、自分には合わないと思ったから自分のやり方でやる」とさっぱり政治の道は諦めた。その塾は、今ではテレビでも取り上げられるほどの有名な塾となった。
20年ほど前の出来事だけれども、先輩とは別の道を歩みながら、お互い、その日の会話の延長線を歩いている。
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