倫理選挙特別委員会で行われた26年ぶりの試み。
それは議員間同士の自由討議。議題は選挙運動の在り方。
大臣はおらず、まさしく議員同士が意見を述べ合い議論を深める場となりました。
私自身、過去の質疑の中で「余りにも古すぎて不合理な選挙慣行と公選法を改正するべく、当委員会に改正点を整理する小委員会を設置すべき」と訴えてきました。
与野党の筆頭理事にも個別にお願いしていたこともあり、まずは第一歩として開かれたのが、この自由討議でした。
単刀直入に申し上げて、日本の選挙制度と慣行は余りにも奇異であり、有権者にとっても候補者にとっても有益なものとは言えません。
改めて申し上げるまでもなく、国民主権の最たる権利が選挙権です。
有権者がその権利を行使するにあたり、できる限り有益な情報を伝えていく義務が制度に求められているにも関わらず、現状は決して満足できるものではありません。
有権者の視点からしばしば求められることは「投票するにせよ、誰がどのような主張をしているのかわからない」というもの。
その求めに一番相応しいものは候補者同士が一堂に集まってお互いの意見をぶつけ合う「公開討論会」だと思いますが、実は、その公開討論会は、最も選挙の関心が集まる選挙期間(告示中・公示中)に行うことは、法律で禁止されているのです。
過去に禁止するに至った理由は何かしらあるようですが、現在において禁止する利益はほとんどなく、むしろ有権者から貴重な機会を奪っている法規制となっています。
候補者にとっても、街中に張り巡らされる何百もの公営掲示板にポスターを自力で貼る作業から、選挙期間に配ることができるビラには、一枚一枚シールで証紙を貼らなければならない(その数は数万枚)など、それらのこと自体が選挙に立候補する(できる)人を制限している実態があると考えます。
これらのみならず、選挙に関わる法律は不思議なことだらけです。
そもそも、選挙カーに乗って名前を連呼する(実は政策を訴えてはいけない法律となっています)選挙運動が、どれほど有権者にとって有益なのか大きく疑問があります(もちろん、求めている方もいることは理解しています)。
ありとあらゆる面において昭和の環境をもとにした法律が、この令和の時代も不合理ながら放置され続けている理由は、恥ずかしながら立法府たる国会が見直しをサボっているからです。
この議員の選挙運動のあり方に関しては、「議員の身分等に直接関わる事案」として、内閣から法案の提出はされないので、国会議員が議員立法しない限り永遠に改正されることはありません。
選挙はこういうものだ、という思考停止と、選挙慣行と法律に疑問を持ちながらも当選後は他の法律改正に注力してしまう我々国会議員に、改正の機運を高める必要がありました。
初めての自由討議でありましたが、意外なほど自発的な発言がなされ、終わったのちにも有意義であったとの評価がありました。議論中においても「この自由討議だけで終わらせるべきではなく、小委員会を設置すべきだ」と、私と同じ意見を表明する委員も現れ、結果的には大きな意義があった自由討議となりました。
私自身も、主権者たる有権者の選択に資する選挙制度に移行すべき。そのために、この委員会で総選挙毎に法改正を行なっていくような機動的で継続的な仕組みを直ちに設置すべきと訴えました。
選挙は、候補者のためでも、その候補者を応援する支援者のためだけのものでもありません。
主権者たる有権者が、自らの投票に吟味に吟味を重ね、自らが決定を下している実感をもってもらえるよう、選挙の在り方を都度アップデートしていく必要があると思っています。
引き続き、努力して参ります。