先日の日曜日、青空のもと秋田駅前のアゴラ広場において個人演説会を開きました。
通常の選挙であれば連日集会を開くのですが、今回の選挙はコロナ対策から大規模な集会はこれが最初で最後。
想いを込めた演説を書き起こしました。動画と共にお読みいただけたら幸いです。
一人でも多くの方へ、私の想いが届きますように。
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皆さんこんにちは。
まずはこのような日の貴重なお時間を使って、この場に足を運んでいただきましたことを心から、心から、本当に御礼申し上げたいと思います。
皆さん、本当にありがとうございます。
コロナ禍の選挙ということで、今までとはちょっと勝手が違っています。本来であればいわゆる個人演説会をたくさん開いて、皆さんに語りかけたいと思うのですが、まだどうしても屋内でやることが難しくて、このような形で青空のもと行なっております。
実は全市、選挙区全部に呼びかけて集会をするのは、この1回だけなのです。残りはなかなか外でやれる場所、外でやれる日時もなくて、今回この日この時を大事に、皆さんとお会いできたこと、心から感謝申し上げたいと思うのです。
今日も報道の皆さんが来ているんですけど、東京から大物とか来ないんですかとよく聞かれますし、支援者の方からもどんどん呼んでやればいいねと言われるんですけども、あえて今回は、東京から誰かを呼んで応援演説してもらうということをしないで一人で頑張ろうと思いました。
その思いに至ったのは、自分がもう一度選挙をやる上で、国会議員をもう1回目指す上で、大事なことを自分の胸の中に刻んだからです。
その理由は2つあります。
まず1つ。この地域から選ばれて国会議員になれるのであれば、秋田の代弁者、皆さんの気持ちの代弁者、この地域で暮らす方の代弁者になりたいということです。
私の党にも偉い人はいっぱいいます。有名な方もいっぱいいるんです。そういう方をお招きをするのも1つだと思うのですが、やっぱり心の中でどこか、東京から人を呼ぶと秋田の匂いというものがわからないんじゃないかなというふうに感じるんです。
確かに力はあると思います。確かに知名度はあると思うんですけれども、その方が今この地域で暮らす方々のその匂いと感性というものをしっかりと理解できているんだろうかということをものすごく感じるんです。
明日、菅さんが来ると聞きました。石破さんも来ると聞いてます。本来であれば対抗しなきゃいけないのかもしれませんけれども、私は秋田の匂いを本当にあの方々知っているのかなと思うんです。
ちょっと余談となりますが、菅さん、私も期待したんですよ。
秋田の生まれで、もともと仲良くて、同じ県南で農家のせがれと言われたときには、やっぱり秋田県人として誇りに思いました。
ただ1年間の政治を見て、国会で質疑をしている中で、秋田じゃなくて横浜の人になっちゃったんじゃないかなというふうに思ったんです。
それを感じるのは実はすごく些細というか、象徴的なことがあったんです。
ある国会審議の中で菅総理が答弁をしていたんですけども、急に途中で手を挙げて「ちょっと、ちょっと」と言って答弁をやめたんです。何が起きたかわかりますか。国会によくいたなと思うんですけれども、総理の目の前にカメムシがとまったんです。本当なんです。
手を挙げて委員長にカメムシいるから取ってくれと言われたんです。
わかると思いますけれど、秋田の農家のせがれの生まれだったらカメムシくらいとって投げればいい話なんですよ。
やっぱりね、そういうこと一つひとつ、秋田の人間として見ていると、やっぱり横浜の人になっちゃったのかなと、秋田の方向を見てくれてないのかな、秋田のことを忘れちゃったのかな、ということを理屈じゃなくて感覚で思いました。
そういうことも含めて言うとやっぱり選挙戦。この秋田の地域から誰を選ぶのかと言うことであれば候補者本人が自分の考え、自分が感じることを訴えるのが一番だと思うんです。
それでも来るのはもちろんいいことだというか、もちろんそれは自由だと思うんです。ただ、これも思うんですけど私も今まで呼んできましたので反省しているんです。もし来るんだったら、偉い方が秋田の地に来るんだったら、選挙じゃない時も来てほしいんです。そして、もし選挙の時に来るんだったら候補者の応援だけじゃなくて秋田の方々の今の思いを聞きに来てほしいんです。
皆さんどうですか。ガソリン高くないですか。160円を超えましたよ。これからいよいよ冬を迎えて、灯油の値段もやっぱり東北の人間であれば心配です。これからどれほど高くなっていくんだろう、自分の家計と見合って、本当にこの冬越せるのか、心配している生活者はたくさんいると思うんです。そんな声を聞いて欲しい。
それとともに、ここは秋田駅前ですから、本当は秋田に就職したいけれど、めぼしい職がなくて泣く泣くこまちに乗って仙台に行く若い人たちの声を聞いて欲しいんです。いかに今の地方が苦しいのかっていう、そういう実情を初めて知って私は応援弁士になると思うんです。残念ながらそういう方は秋田の人間以外には匂いを感じることはできないと思うので今回こういう形で開かせていただいたんです。
この思いを強くしたのは、この4年間の出来事にもあるんです。
その地域の方だけにご案内をして集会を開いたことが2日前にありました。
新屋・勝平です。
新屋・勝平の方々の選挙人名簿を全部市役所で写させていただいて、それで皆さんにお葉書を送りました。イージス・アショアのことについてお話をちゃんとしたいということです。この4年間仕事をさせていただく中で、コロナの問題とともに、私自身が一番心血を注いだのは、このイージス・アショアの問題です。
あと皆さんは忘れているんじゃないですか。急に撤回されて1年経ちました。平穏な秋田の日常がまだ続いています。でも、もしあのとき撤回されていなかったら、ここからほど近い新屋・勝平地区にミサイル基地が建設されようと基礎工事ぐらい始まっていたと思うのです。もしかしたら地域住民の方々が最後、体を張って止めようとしていたかもしれません。
さまざまな幸運が重なって、様々な努力が重なって撤回をされましたけれども、この4年間の中でこの秋田を語る意味においてイージス・アショアの問題を、私は避けて通れないと思うんです。
この問題、何が問題なのかというと、もちろん日本を守るために最低限の軍事力、そういうものは必要だという声があることは十分わかっています。ただ、そのイージス・アショアというミサイル基地、飛んできたミサイルを撃ち落とすためのミサイルですけれども、それを設置する場所が新屋演習場という、学校であったり、福祉施設であったり、その地域にずっと住んでいる皆さんのご自宅の目の前に置かれようとしたんです。
全国いろいろ比べてみると県民性はあるのかもしれませんが、よく言われるのは秋田の人は人がいいと言われます。そういうところ足元見られたんだかわかりませんけれども、突如としてイージス・アショアというものを日本が配備しようと決めました。おそらくトランプさんから押し売りされたのかもしれません。そして突如としてなぜか、秋田の新屋・勝平に置こうという話が進められました。
その時に地域住民の方々が、勇気を振り絞って声を上げてくれたんです。
今でも忘れられません。私の父親と同じくらいの年齢の方でしたけれども「俺たちはもういいんだ、5年後10年後はわからないから。子や孫の代にミサイル基地があるような地域を残したくない」と言って声を上げてくれました。聞いてみると「やめれ」と「あんまりそういう政治的なことを言うな」と「国に逆らっちゃだめだ」と、そういうふうに止められたといいます。ただ、やっぱりこの地域を自分たちで守らなきゃいけないという気持ちを持って声を上げてくださった方がいました。
その勇気ある大きな地域の声によって地域はどんどん問題意識を持って、おととい集会やったときも同年代の方に言われたんです。「寺田さんねと、自分の父親ぐらいの人間がこれからの世代のためにと言ってくれてるときに、現役世代の我々が黙ってるわけにいかなかったんだ。だから僕も声を上げたんだ」と言ってくれました。
そうやって地域の連帯が生まれて、この新屋・勝平地区にイージス・アショアなんて置かないでくれと、そういう声を上げ続けたことによって、いろんなことが動き始めました。
報道はしっかりと調査報道をし、そして支援団体が生まれ、そして私自身も国会議員として仕事をさせていただきました。あんまり報道はされていないかもしれませんけれども、今までこの問題に関わった大臣3人もいたんです。小野寺大臣、同じ東北の宮城の気仙沼の人ですよ。九州の岩屋さん、そして河野太郎さん。この3人に本当に何回も質問して、一番最初の小野寺さんのときにしつこく、しつこく、しつこく聞いた結果、「地域の理解なくして配備はない」という発言をもらいました。ようやくこれによって国が勝手に進めるってことをなんとか止めることができたんです。
ただそれでも強引に物事は進んでいきます。説明会をさせてほしい。調査をさせてほしい。その中において、今日も来てますけれど妻にもお願いして参議院選挙にも立ってもらって、本当に市民だけじゃなくて県民多くの皆さんのご支援が募って政治的に反対だという意思を示すことができました。
その後参議院議員として、国会議員って7百何十人といるんですよ、全部の部屋を新屋・勝平の写真、航空写真、いかに住宅地と近いのかということを示した写真とそして地域の方々の声を背負って全員の部屋を歩いて説明して回ってくれました。
さまざまなこと。地域の住民の皆さん、報道、支援団体、そして市議会、県議会、国会議員の同志たち、みんながそれぞれの立場で頑張ったおかげで1年前に奇跡的に配備撤回が決まりました。そして今があります。
振り返ってほしいんです。この間に与党議員の先生方は何をしてくれましたか。アンケート、読み返しましたよ。「国防のために必要だ」と配備に賛成でした。百歩譲っていいですよ、だとしたらそれがなぜ必要なのか住民の方に説明したでしょうか。「これ良くないな」と言って避けてきたんです。ただ政府与党だから賛成って言わなきゃいけないと言って秋田県の与党議員は全員賛成していましたよ。私はこれを見たときに、国会議員って誰の立場に立つんだろうってことを強く感じたんです。
皆さんから選ばれて、皆さんから押し出されて、国の代理人になったら何の意味もないんです。国の代理人ではなくて地域の皆さんの代弁者になるのが私が今挑んでいるこの選挙のその先にある役職だと私は思っています。
私もそうでしたけれど、党の先輩方とか、もちろん総理大臣もそうですよ。怖いですよ。何かあったら公認取り消されるかもしれないし、何かあったら冷や飯を食わされるかもしれない。そうなったら言うことを聞いちゃうかもしれないですよ。私がもしこの選挙で、選挙で勝ちたいからといっていろんな人たちを呼んできたら、たぶん選挙の恩って、なかなかのもんですよ。
昔、沖縄の件もあったんですよ。何年前になるか、沖縄の選出された自民党の国会議員の先生方が基地問題に対してきっちり反対姿勢を示して勝ってきたんですけれども、その後に、当時の石破幹事長ですけどもギリッとやられたらみんな椅子に座って賛成になっていました。僕ね、これは議員心理として仕方がないと思うんです。責めるつもりは正直ないです。ただお世話になればなるほど、こうやって選んでくださった皆さんじゃなくて所属している政党の上の言うことを聞かなきゃいけなくなってくるんですよ。
ですから今回、私は国の代理人になるんじゃなくて地域の代弁者になりたくて、心細い部分は多少ありますけれども、なんとか一人で、そして秋田の仲間たちだけでこの選挙戦を戦いたいと思ってこうやってこの場に立っております。
もう一つ、大事なことなんですけれど、これからの日本と秋田の舵取りというものを若い人に託してほしいという思いです。テレビの前で言うのも何か申し訳ないですけど、正直言ってもう、岸田さんとか枝野さんに頼り続けているような時代じゃないと思うんです。やっぱり若い世代がこれからの日本と秋田をグイグイ引っ張っていく、そういう中心に立つべきだと思っています。
秋田の抱えるさまざまな問題はありますけれど、やっぱり人口減少じゃないですか。
私が物心ついたとき120万人という記憶があります。あっという間に100万人切りました。昨日だったか、おとといだったか、新聞には94万人を切って93万人といいました。1年で何人減ると思います?1万5千人減るんですよ、秋田県。人が減れば減るほどお金を使う人もいなくなるし、さまざまなサービスもできなくなるし、そうしたら商店街は廃れていくし、その地域の経済もどんどん落ちていくんです。この人口減少の問題というものは、秋田が抱える、そして日本の中でトップランナーとして一番早く、ものすごい勢いで人口が減り続けている、そういう問題です。
秋田県をくまなく歩いているとさまざま言われます。昔は若い人がいっぱいいて、木内の前のあたりではぶつかって歩いていた、とかよく言われます。私の生まれ故郷の横手もそうでした。本当に若い人が多かった。私が小学校の頃、中学校、高校でも8クラスとかありました。たぶんね今全然いないですよ。半分くらいですよ。もっと若い人、子どもたちも増えたらなとか、若い人たちも秋田に残ってくれればいいのにな、という声も聞いています。私も同じ思いです。私と同じような世代の方々も同じ気持ちでいます。できれば秋田に残りたい。今東京にいるけれども、両親も年取ってきたのでできれば秋田に帰って面倒をちゃんと見てあげたい。子どもも1人じゃなくて2人欲しい、3人欲しい。そういうふうに思っていますが、なかなかその願い通りにはいかないんです。
若い人たちにもさまざま悩みがあります。早く結婚せよと言われますけれども、若い人たちの給料は本当に低いんですよ。所得が低すぎて結婚ができない、結婚したはいいけれどもなかなか子どもができなくて、不妊治療を一生懸命やろうとも1回40万円かかるようなこともありますよ。何回もやれない、それで諦めちゃう。もう1人欲しいけれども、一人ひとり子どもにお金かかりすぎて、無償化、無償化って言ってますけれど、うちの子どもも小学校2年生になりました。副教材費とかも高いですよ、体育着だなんだかんだって全部、道具箱だなんだって全部出費がかかります。やっぱりそれ考えたらもう1人って躊躇しちゃうよなと。
秋田で働きたいけれど働けるような場所がない。秋田に帰って来たいけれども、今育てている子どもを養えるだけの職がないとみんな悩み抱えてます。スタッフから言われたんですけれど、若い人たちも今は精一杯ですと。朝起きて、家族の中で一番最初に起きて弁当を作って、子どもたちを起こして朝ごはん食べさせて、学校に行かせて、その後働き場に行って、そして夕方には買い物をして帰って、塾に迎えに行って、子どもにご飯作ってあげて、寝かしつけて、その後家事やって寝ています。もう一日一日が精一杯で他のことを考える余裕なんてないよと。そういう話も伺いました。
ある友人からは、自分の子どもにも他の子どもと同じようにさまざまな経験をさせてあげたいからといって、朝3時からホテルの調理場のパートを入れて一生懸命お金を稼いでいるというお母さんもいました。おそらく土曜日、日曜日は楽しくキャンプみたいにやれていますけど、一日一日、いっぱいいっぱいなのがこの秋田の若者だと思います。
そういう若者たちの声に今までの政治って正面から向き合ってきたでしょうか。私も永田町にいて十何年経ちました。少子化問題ってみんな言うんですよ。少子化問題が大事だ大事だというけれども、心の奥底では「最近の若い人たちは根性足りない」と、「俺が若いときだったらもっと地元に郷土に対する愛があったんだ」と、それが足りないんだと言って何の対策も打ってくれなかったんです。結婚できない、そのためには所得が低い、もう1人子どもが欲しくてもお金がかかる。地元に帰りたくても東京にいなければ給料が稼げない。さまざまそういう若い人たちが抱える理由というものに正面から向き合ってこなかったからこそ、若い人は減り続けて若い人はこの地域から出て行ったんです。
ぜひ、改めてこの10年を振り返ってみてもらいたい、思い出してほしいんです。
2012年末、13年から「長期政権が必要だ」「安定政権が必要だ」ということで8年にも及ぶ安定政権を作りました。結果的には国民の皆さんがそれを選びました。最初は大都会、最初は大企業、そして富裕層、その人たちが豊かになったら必ず地域の方々、地方の方々にも恩恵は行くから待っててくれと、所得が低い人たちも必ず滴り落ちる富があるから待っててほしいと言われた8年でした。しかし結局この秋田には、同じような地方には何一つ変化はなかったです。
その後、秋田にとっては待望ですよ。秋田を一番知る秋田出身の総理が誕生しました。でもどうでした?カメムシの話だけじゃないですよ。秋田を振り返る余裕すらなく終わってしまいました。
約10年間振り返ってみてください。安定政権があれば地方の暮らしは良くなると言われた。秋田出身の総理が生まれたら秋田は必ず変わるはずだ。人のいい私たちはずっとそれを期待して待ち続けたんですよ。けれど何の変化もなかったじゃないですか。この10年間は長期政権であろうとも、誰が総理大臣、大臣になろうとも、何にも変わることがないということを思い知った10年間だと私は思います。
だからこそ若い人に期待してほしいんです。これからの日本と秋田の舵取りを若い世代に任せてほしいのです。自分たちの世代ですからこの人口減少を乗り越えていくために、これからの世代のため、もちろん今まで頑張ってくれた人生の先輩たちをしっかり支え、そして今、幼稚園や保育園、小学校・中学校に行っているこれからの秋田を担う子どもたちを一生懸命育てていく。そういう中核の世代に、これからの日本と秋田の舵取りを任せてほしいんです。
このコロナ禍になってさまざま苦しいことはありました。テレビでもコロナばかりです。その中で皆さんもたぶん知ることになったと思うのですが、他の国、本当に若い人たちでやってますよ。コロナ対策で成功した国って
さまざま挙げられるんですが、一番成功して、今もマスクを外して生活してるという国はニュージーランドと言われてます。ニュージーランドの総理大臣ってどんな人かわかりますか?40代の女性ですよ、そこだけじゃないですよ。例えばカナダのトルドーさん、40代です。フランスの大統領マクロンさん、40代ですよ。ヨーロッパには30代の総理だっています。やっぱり、これは若い人のためだけの政治じゃないですよ。中核になって上を支え下を育てる、そういう中核世代が政治の中心にいることによって国はどんどん明るくなるし、時代は変わり、景色も変わっていっているんです。
改めて申し上げたいんです。私は今回の選挙で訴えたいことは、もう1回、秋田の地域の代弁者として仕事をさせていただきたいということ。そしてもうひとつは、これからの秋田と日本の舵取りを若い人に託してほしいということです。暗いことばかりじゃないですか?人口は減る、景気は悪い、コロナで苦しい自粛ばかり。若い人たちのエネルギーがあったら、少しずつかもしれませんが、今の景色が変わって明るい世の中作ってくれると私は確信しています。
どうか今回の選挙。若い人たちに期待してほしいんです。思い切って若い世代に日本と秋田の舵取りを任せてほしいんです。
そのことをこれからも残りの1週間、市民の皆さん、有権者の皆さんに一生懸命訴えてまいります。
まだ負けています。
なんとか今日こうやって忙しい中、足を止めてくださった皆さんにお声がけをいただいて、もう一度、国会で仕事をさせてください。
秋田のために、日本のために頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いします。
今日はご清聴ありがとうございました。