201503月16日

【311の記憶:4:東電、撤退用意:加筆修正し再掲】

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3月13日(日)大震災発生から2日。
総理執務室の横にある総理応接室を
臨時の原発事故対応室として使用。
その応接室付近の小部屋数室(普段は総理面会の控え室)を、
東電、保安院の関係者控え室として使用。
定期的に対策室宛に原子炉の状況が報告される。
それを室内のホワイトボードに書き込んでいく。
しかし、
報告のほとんどがダウンスケール(前述:計器の張りが下限に張り付いている状態)。
注水を続けても、水位計が上昇しない。
それゆえ対策本部につめている東電の幹部も、
保安院の幹部も原子炉の状態が掴めていない。
いま振り返ると恥ずかしい話だが、ことここに至っても、
対策本部に集うメンバーの中に、
メルトダウンしているという「確信」をもっているものは皆無だったと思う。
計器がダウンスケールし、状態がわからない。
もちろん可能性は感じていた。
だが、それが現実だとしても
注水を続け原子炉を冷やし続ける事に変わりはない。
東電、保安院から、
昨日の水素爆発のような事案が、今後も起きる可能性が説明される。

こんなやりとりがあった。
東電より「格納容器の圧力が上昇したら今度はちゃんとベントをします」。
細野補佐官「本当に出来るのか?」
東電「大丈夫です。」
細野補佐官「圧力上昇が予測出来ているなら、今からベント弁を開けておけないのか。
昨日のようにイザという時にベント弁が開かない事態は避けたい。ベント弁を今から開いておいて格納容器爆発の最悪事態だけは回避すべきではないか」
東電「大丈夫です。ベント弁は何カ所もあるので、万が一に一つが開かなくても、他のベント弁が開きます」
細野補佐官「どうしても信用出来ない。素人発想で申し訳ないが、今からベント弁を開けておいて、閉じないように『つっかえ棒』でも突っ込んどくぐらいことをすべきでは」
東電「大丈夫です。本当に。」
しつこいやり取りだった。
それほど、東電の現場コントロール能力に官邸側は不安を抱いていた。
(その不安は現実となる。懸念していた通り、翌日ベント弁が開かず深刻な事態に突入する。)

この日から原発の事故対応に加え、
計画停電の話が東電から持ち込まれる。
それは突然の話だった。
都心に供給していた電気が原発事故で不足している為、
震災後初の平日、翌朝の14日月曜日朝から計画停電に入るとのこと。
計画停電は枝野官房長官のところで対応していた為、余り記憶にない。
唯一の記憶は以下。
総理秘書官室の自席の隣の小部屋。
秘書官数人に加え、
経産省の柳瀬総務課長(現在は安倍総理の秘書官)らと打ち合わせ。
「もうこっちでやってるんで色々首を突っ込まないでほしい」と柳瀬氏。
「何の事?」と私が問う。
「計画停電で色々動いているんですが、政務(政治家)が色々と」。
細かく聞くと、蓮舫大臣が節電担当大臣になったこと等に不満があるようだった。
意思決定ラインが複雑になるから、と。
確かに海江田経産大臣と新任命の蓮舫大臣と、
所管事項にトップが2人になってしまう。
私も急な計画停電と、それに伴う人事には驚いてはいたので同調。
(この柳瀬課長とは、その後、浜岡原発停止の最終打ち合わせで再会する。その話は別の回に)

夜10時、この小部屋に再び人が集まる。
岡田幹事長をはじめ、多くの民主党幹部が官邸へ。
総理(党代表)と民主党幹部の会合がセットされていた。
総理は階下で会議中だったため、
党幹部の方々には秘書官室の小部屋に待機してもらう。前述の自席の隣の小部屋。
この小部屋、非常に狭い。
大人5人で満杯状態。
その為か、待っている幹部の方々が狭さに我慢しかねて部屋を出て秘書官室内に。
私は自席で作業をしていたが、脇に輿石参院会長(当時)が現れた。
そこで輿石会長が一言。
「いつまで待たせるんだ」。
輿石会長の独り言。
「すみません。総理は会議が長引いておりまして」と私は立ち上がってお詫びした。
頭を下げながら、
震災直後、党の参院会長を待たせる事にどんな不具合があるのか、と私は内心憤る。
同じ部屋では、地元の宮城が被災し、
自らの家族の消息すらも分からず不安の最中にいた安住国対委員長も待っていた。
安住委員長の心中察するに忍びなく。
それに引きかえ輿石会長の態度たるや。
怒りの言葉が喉元まで出かかるのをすんでのところで堪える。

3月14日
総理は執務室で公明党の山口党首と会談。
私は対策本部として使用している総理面会室から
隣室の総理秘書官室の机に戻る。
しばらくすると、隣の総理秘書官付き室から声があがる。
「あぁ!!」
同時に秘書官付の若手が飛び込んできた。
「爆発!! 4チャンネルです!!」。
急いでテレビを切り替えると昨日と同様、爆発映像が。
総理に伝えようと執務室へ向かう。
「現在、政務案件中です」との声がかかる。
が、構わず執務室に入る。
「失礼します。総理、爆発です」。
さすがに平穏な声では話せなかった。
執務室のテレビを爆発映像に切り替える。
大きな噴煙が空高く舞い上がっている。
その噴煙の色は、黒い。
昨日の一号機爆発とは、明らかに違う。
総理の第一声。
「黒いよな、これ。。。。。」
この「黒い」という言葉のさす意味は、
昨日の一号機の爆発のような建屋(外側)の爆発ではなく、
格納容器(内側)からの爆発ではないか、ということ。
まさしくチェルノブイリのような
原子炉内部からの大爆発ではないか、と誰もが思った。
山口代表との会談は即時中止され、情報収集が命じられる。
詳細な情報が届くまでの間、胃が痛くなるような緊張感。
本当に原子炉内部からの爆発であれば、その後の日本は、ない。
執務室に関係者が飛び込む。
原子炉の圧力計などから、
最も懸念されていた格納容器の爆発ではなく、
一号機と同様、建屋の爆発との一報。
安堵。
三号機の爆発は予想されていた。
一号機で起きた事は、どの号機でも起こりうる。
建屋の中に充満している水素を外部に放出できれば良いのだが、
その手段がない。
屋根に穴をあけようにも、火花で大爆発が懸念される。
なにより、そのような作業をする生身の人間のことを思うと、
相当なリスク。
東電でも、設計に関わっている東芝でも日立でも
次善の手段を考えていたのだが、その矢先の爆発だった。
東電の思考速度や行動速度を遥かに超えるスピードで、
事故は深刻化している。

ここから、総理応接室に
海江田経産大臣や保安院、安全委員会、東電関係者が常駐。
次から次へと、原子炉内部の計器数値が報告される。
報告内容は刻々と悪化。
しかも、電源を失って、冷却が充分でない原子炉数機に対し、
東電が供給出来る「冷却水」そのものの量が限られている様子。
畳み掛けるように、今度は二号機に深刻な問題発生。
圧力容器内の圧力が上昇。
このままいけば、
最も恐れている圧力容器ごとの大爆発に繋がる危険性も。
徐々にその危険性が数字と共に高まっていく。
とにかく、容器内の圧力を抜かなければならない。
その為には、ベントをしなければならない。
だが、ここでまた、ベント弁が開かない事態。
昨日、細野補佐官から
「ベント出来ないと困るから今からベント弁を開けるべき」と、
懸念していたベント弁が、やはり開かない。
「ベント弁は一つだけじゃないので大丈夫です」と、
あれほど自信満々に説明していた東電関係者が狼狽。
どのベント弁も開かないらしい。
「二号機の圧力容器は設計圧力を超えてます」と報告あり。
息をのむ。
設計当初に想定していた限界圧力を遥かに超えているようだ。
パンパンの状態。
もう、いつ爆発してもおかしくない。
そして、圧力が高すぎて冷却水が注入出来ず、
核燃料がむき出しになっている可能性ありとの報告を受ける。
とうとう、メルトダウンの可能性が明示的に報告され始めた。
メルトダウンと、原発の大爆発。
その現実味が目の前にある。
すべきことは明確。
二号機内部の圧力を抜く。そして核燃料を冷却水で冷やす。
だが、それが実行されないじれったさ。
現場では懸命の作業が行われているのだが、度重なる爆発と、
想定の甘さもあって物事がスムーズにいかない。
官邸側は、報告を待つ以外ない。
現場の吉田所長から細野補佐官に電話あり。
「もうダメかもしれません」との内容。
気丈な吉田所長が見せた、唯一の弱音かもしれない。
励まし、政府で出来る事を聴取。
要望のあった高圧の放水車の調達に取り組む。
東電の武藤副社長が後ほど会見を行う旨、発表。
それと同時にNHKが
「核燃料がむき出しになっている可能性」と報じる。
「二号機への注水が出来ていない」とも。

官房長官の様子を伺いに、長官室を訪問。
扉を開けると枝野長官と海江田経産大臣が二人で会談中。
「失礼しました」と部屋を出ようとしたら、
「入っていいよ」と誘われ入室、着座。
現在の状況等を私から報告。
すると、経産大臣秘書官が
「大臣、東電の清水社長からお電話です」と入室。
大臣「いーよ、もう出ない。さっき断ったんだから」と
電話取り次ぎを拒否。
たまらず私から「何のお電話だったんですか?」
海江田大臣「なす術ないから、現場から撤退したいって話」。
枝野長官「俺にもきたよ。その電話。もちろん断ったけど」。
初めて聞いた私は驚愕した。
現場から東電が撤退したら荒れ狂う原発を誰が押さえ込むのか。
慌てて海江田大臣に
「そのような重大なお話なら、お電話に出ないのはお止めください、再度お電話にでて、しっかり断って下さい」と頼み込む。
海江田大臣「そうだな」と言って席を立ち電話を受け取る。
官邸内部の空気も一変していた。

「注水不能、核燃料がむき出し」との報道もあり、
いよいよ深刻な状況になってきていることは、
誰もが知る状態だった。
普段は凛々しいSP(警護官)の方々も、
さすがにソワソワしているようだった。
私達の会話を通じ、
何が起きているか把握しようとしているようだった。
多くの人が慌ただしく動きまわる。
総理応接室で二号機の進捗報告を待つ。
海江田大臣が「さっき、このフロアに松永経産事務次官がいた。
彼も、俺に東電の撤退を了承させようとしにきてるのか」。

吉報。
内部圧力の低下が報告。
総理応接室に集う関係者一同、久しぶりの吉報に安堵。
「早く注水を!!」気持ちが焦る。
しかし、待てども注水開始の一報が来ない。
現場に確認すると、
「注水の練習をし過ぎて、注水車のガソリンが切れた」と、
初歩的ミスが報告。
急いでガソリン補給をしてもらう。
政府でもガソリンの緊急搬送の可否を検討。
「注水はまだか、注水はまだか」。
報告を待つ関係者の苛立ちは高まる。
刻一刻と爆発とメルトダウンが近づいていることへの焦り。
(後ほど検証すると、すでに事故翌日にはメルトダウンしていたことが明らかになったが、事故当時は、このとき初めてメルトダウンの危険性が報告されていた)。
しばらくした後、
「注水されました!!!」との現場からの報告。
思わず歓喜の声があがる。
「良かった。。。。」ソファにへたり込む人も。
テレビでは、
遅れに遅れた東電の武藤副社長の記者会見の様子が。
武藤副社長から一連の深刻な事態に関する説明。
しかし、再度注水が開始されたことは説明されず、
記者会見を映すテレビの字幕は「二号機注水できず」のまま。
「なぜ、東電は注水再開を発表しないのか」。
官邸内では訝しがる声。
「注水再開を発表せず、注水不能のまま説明し続けるのは、東電が撤退する前提を作る為か?」
そんな懸念まで浮かぶ。
たまらず細野補佐官から吉田所長へ電話。
細野補佐官「注水再開を本店側が発表しない。なぜか?」
吉田所長「え??本当ですか?」と驚いた様子だったという。
深刻な状況は続いていたが、
二号機の圧力は低下し、
注水が再開されたことに、つかの間の安堵。

続く

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