吉田所長に直接お会いしたのは一度だけ。
震災翌日の朝、福島第一原発の重要免震棟にて。
未明に東電自ら決断した「ベント」が何故か実施されず、
格納容器爆発という悪夢がジリジリと迫ってきている時だった。
吉田所長は「どうすれば出来るか」を語る方だった。
それまで、電源車や、まさしくベントについても、
東電幹部から発せられるのは、曖昧な「出来ない理由」ばかりだったが、
吉田所長は唯一「どうすれば出来るか」を語る幹部だった。
「決死隊作ってでもやります」。
言葉にすると、短いこの一文。
そこに込められる迫力というものは、その場にいた者しか解らないかもしれない。
間違いなく、第一の吉田所長と、第二の増田所長のお二人がいなかったら、
いま、この秋田はないと思う。
今の日本はないと思う。
再度お会いしたかったです。
心より、心よりご冥福をお祈り致します。