201307月09日

吉田所長

吉田所長に直接お会いしたのは一度だけ。

震災翌日の朝、福島第一原発の重要免震棟にて。

未明に東電自ら決断した「ベント」が何故か実施されず、

格納容器爆発という悪夢がジリジリと迫ってきている時だった。

 

吉田所長は「どうすれば出来るか」を語る方だった。

それまで、電源車や、まさしくベントについても、

東電幹部から発せられるのは、曖昧な「出来ない理由」ばかりだったが、

吉田所長は唯一「どうすれば出来るか」を語る幹部だった。

 

「決死隊作ってでもやります」。

言葉にすると、短いこの一文。

そこに込められる迫力というものは、その場にいた者しか解らないかもしれない。

 

間違いなく、第一の吉田所長と、第二の増田所長のお二人がいなかったら、

いま、この秋田はないと思う。

今の日本はないと思う。

 

再度お会いしたかったです。

 

心より、心よりご冥福をお祈り致します。

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