「こうゆう意識の低い人たちが感染しても病院行かないでほしい 医療従事者が頑張ってる中、無責任すぎます」
私の私用Facebookに友人から寄せられたコメントは辛辣だった。コメントの中にある「こうゆう意識の低い人たち」とは、私もその一員である国会議員である。
大人数で賑わう国会の様子に疑問を呈した私の投稿に、普段はあまりコメントしてこないこの友人は、短いコメントに強い怒りを込めて書き込んでくれた。
「10人以上集まりを避けて」と、政府の専門家会議が国民に要請した翌日の4月2日午後、私たち衆議院議員は、議員全員が集まる本会議を決行した。その人数は500人近く。
広い本会議場ではあるが、座席は狭く、顔の目の前には前列の議員の後頭部、左右も議員に囲まれ、一人ひとりに与えられたスペースは決して広くはない。
その上、ここぞとばかりに多くの議員が歩き回り、声が他人に聞こえぬよう近距離で話しあう。そして議論が白熱すれば大きな声援と野次が飛ぶ。そのような本会議が2時間半続いた。翌3日も「特定デジタルプラットフォーム法・特定高度情報通信法」の審議が、同じ環境で行われた。
政府の専門家会議が感染拡大防止の為に、繰り返し国民に要請するのは、感染しやすい環境である「密集」「密閉」「密接」の「3密」を避けるべき、ということ。
その「3密」を自ら実践しているのが、国会であった。
名指しで立ち入り自粛の対象とされたバーやナイトクラブと、感染拡大の意味で何が違うのだろうか。子どもたちだって、教室が「3密」になるからと、級友とともに学び遊ぶ場が奪われているのに。
新型コロナウイルスの感染拡大によって生活が激変した世界を前に、私が所属する国会は何ら変化をしていない。マスクをつけた以外。
そんな間抜けな国会をよそに、新型コロナウイルスの感染拡大は全く止まらない。
日本も最初は「中国で起きた感染症」と対岸の火事であったが、今や欧米での爆発的感染とともに、国内においても「緊急事態宣言」を国民が求めるほどに危機感が高まっている。
政府としても、欧米のような爆発的感染を避けるべく、国民に対し自らの行動を見つめ直し、感染拡大を防ぐ自助努力を繰り返し要請している。
国民性もあって、突然「一斉に休校にします」と言われたら不満はあれど耐えるし、「外出を控えて」と言われれば、大人しく家にこもる。その影響をもろに受けた外食産業では多くの店が瀕死の状態にある。
国民がその苦労に耐えている理由は、ただ一つ、これ以上の感染拡大を防ぎ、犠牲者を一人でも減らすためだ。
その国民の姿勢を前に、われわれ国会議員の意識と行動は変わっているだろうか。
先月から、感染拡大を防ぐべく、国会のあり方を変えるよう内部で働きかけてきた。
本会議が開かれる前に各会派ごと開かれる「代議士会」は、本会議以上に密閉された部屋に、多くの議員と、秘書と記者が集い、話し合う。まさしく、クラスターを招く環境そのものだった。
その代議士会の休止を訴えてきたが、なかなか響かず、むしろ窓をあけた職員に「閉めろ」と花粉症の幹部が指示をする始末だった。
いま、その代議士会は、ようやく休止することで各会派が合意したのだが、その直後に行われたのが冒頭の本会議である。
われわれ国会議員は、本当の意味で、この新型コロナウイルスの深刻さを認識していない。
日本にとってはタイムマシーンでもあるかのように、武漢が、ヨーロッパが、アメリカが、と時系列に日本の将来を映し出した。爆発的感染の恐怖と悲惨さを実感し「早く気づいて」と日本国民に訴える現地の方も多いのに。
私は、コロナ対策以外の議事は思い切って取りやめるべきと考えている。
これは、立憲民主党の枝野幸男、国民民主党の玉木雄一郎両党首にも再三働きかけ、概ね同意してもらった。
いま、対策のフロントラインの厚労省が疲労困憊している。それは、国会対応にも原因がある。もちろん、本拠地の厚生労働委員会で議論するのは本業だが、いまこの状況ゆえに、他の委員会でもコロナ関連の質問がされ、その答弁作りや資料作りに追われているのだ。
いま政治が早急にやるべき課題は、コロナ対策以外にない。したがって、持てるもの全てをコロナ対策に注ぎ込むべきで、それ以外のことでコロナ対策の足を引っ張るべきではない。
コロナ対策に係る、補正予算の審議も、「3密」を避ける工夫を施した議論の場で、最低限の人数だけで行うべきだ。詳細な規則や法律があるのかもしれないが、そこはこの緊急事態に鑑み、柔軟に運用すべきと考えている。
いま、われわれ国会議員は資質を問われている。
国民に感染拡大防止の為の行動変革を度々要請し、国民や事業者に苦労を強いておきながら、国会自体が全く行動変革をせず、感染拡大のリスクを犯していることに大いに問題意識を持たなければならない。
無神経な本会議を続けつつ、いざ感染したとなると優先的に病床を用意するよう要求する議員が出てくるだろう。そして、実際に用意されたりするかもしれない。その病床は、感染拡大しないよう懸命に努力した国民の病床であったのに。
自らの行動も変えられない国会に、国民に物事を強いる権利があるものか。
そして私たちは、本当に国民の代表者なのか。
本気で問い直す時期は、とっくに来ている。
JBpressへの寄稿