202012月31日

【果たすべき役割】


振り返るまでもなく激動の一年でした。
今までの生活全てが、新型コロナウイルスという目に見えないものによって激変を強いられた一年。

自助、共助、公助という言葉が多く語られた年でもありましたが、コロナによる生活苦、事業継続の困難さは、「まず自分でやってみる」自助の領域を遥かに超えて、いかに政治や行政が迅速に行動するかが問われるレベルのものでした。

その中で、「国会議員」という自らに託された役割に関し、改めて考えさせられる時が度々ありました。

まず、議員一人一人が、その一人にしか見つけられない、または聞くことができない声を持っているのか、ということ。

コロナ禍において、苦しい立場に置かれた人や、業界は多岐にわたりました。その中には、今まで政治にアプローチできた業界もあれば、まったく今まで関わってこなかった業界もあります。苦しいけれど、声が上がらない、上げ方を知らない人たちの声を如何に集めるかが、国会議員が700人もいる理由だとさえ思いました。

秋田から寄せられる要望に応える傍ら、ライブハウスやクラブ、DJなどのアーティストらの音楽業界のために、そして、職業差別のように、数々の助成から明示的に排除されていた性風俗で働く方や、その業界のために制度変更を働きかける日々が続きました。そのような声には与野党もなく、協力してくれる政府幹部や与野党議員、官僚の皆さんがいて、物事を動かすことができたと思います。

そして、秋田のために働くということの意味。
当然、秋田に必要な予算を確保するということは、国会議員の期待される役割だと思いますし、その点に関しては、野党ではありましたが関係省庁にできた人間関係等のお陰で役割を果たしてきたと自負しています。

一方で、今年劇的な終焉を迎えたイージスアショアの件は、国会議員の役割を再考させられる一件でもありました。それは、国から予算を引っ張ってくる議員の役割、ではなく、国から押し付けられそうなものを跳ね返す議員の役割についてです。
一言で言えば、地元の声を代弁する地元議員なのか、国の方針を伝達する国の代理人としての地元議員なのか、というものです。
当初から与党の議員は、異論を述べず国の方針への賛同を示しました。
多くは語りませんが、それが政府与党の一体感への配慮なのか、政府高官への遠慮なのか、政策としての信念なのかはわかりません。
ただ、新屋演習場への配備に対する大きな懸念は、新屋地域のみならず、多くの方々の共通の憂慮でした。その声をしっかり受け止め、国の代弁者ではなく、地域の代弁者として国と向き合う国会議員の意義ということ、その一役を担いながら再認識した年でもありました。

残念ながら、コロナ禍はもうしばらく続きそうです。そして、それは自助で乗り越えられるものではありません。必要な政策が、地元の声や苦しい立場に追い詰められた方々の声に応える形で迅速に実行されるよう、引き続き努力していきたいと思います。

来年は今年以上に、秋田のために立場にとらわれず努力して参りたいと思います。

本年は本当に多くの方にお世話になりました。
ありがとうございます。

12月31日
寒波の秋田で
寺田学

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